共生の新しい時代を求めて
1 急激に進む農業技術革新

  1-1 農業機械
 水稲の機械化は目を見張るものがある。一昔前は機械化貧乏なんて言われたが、種蒔き・田植え・収穫・乾燥・貯蔵・精米まで世界にも類を見ない超高度の機械化が進んでおり、大規模生産・直販が誰にでも可能な状態にある。野菜栽培においても、白菜・キャベツは100ha栽培も可能といわれ、種蒔きから荷作り出荷まで、専用機械のシステム化が進んできた。その他の作物においても専用の特殊機械の開発が進み、機械的にはどんな作物でも大規模化が可能になってきている。

  1-2 病害虫防除、施肥、除草技術
 農薬、除草剤、土壌燻浄剤、化学肥料など、発癌性、遺伝変性、果てはダイオキシン禍、環境ホルモン禍と地球の生命を滅亡させる科学物質の製造・使用がますます深刻化していく中で、更に遺伝子操作というテクニックから除草剤に枯れない大豆や虫が食うと死ぬトウモロコシが作られ、大規模化、低コスト化が農薬メーカー主導で進んでいる。まさに、人類の存亡をかけた、食べて大丈夫かという疑題がますます深刻になってきた。その一方で、環境保全型農業が叫ばれ、家畜の糞尿、食品廃棄物、残飯のリサイクルが、篤農家、学者、技術者の研究により技術的にも可能となり、病気も害虫にもそんなにやられなくて作物を育てる技術も確立されてきている。色々な分野の人々がチームワークを組み、環境保全型農業に取り組めば、化学農法に対抗できる大規模有機農業が可能と考えます。

  1-3 鮮度保持技術
  CO2、Nガス充填、脱アセチレン技術、氷温管理技術、鮮度保持剤、鮮度保持資材等の目覚ましい進歩により、野菜や果物が世界中から高鮮度での輸入が可能になってきた。このことは、農産物が国際標準価格化、投機的要素化し、国産農産物の値決めが多国籍農産物に左右されるようになり、商社の介在がウェイトを占めるようになりつつある。我々も確実に国際競争に対応できる体力を持たなければ生き残らない。


2 高齢化と農地問題

 親の背中を見て育った子供達が、朝から晩まで土と汗にまみれて働く親を見て、こんなつらい仕事をしたくないから親を捨て故郷を捨てたのか。それとも親がギンギラネオン文化の都会に憧れ、田舎を卑下し、汗と土にまみれる崇高な生業を忌み嫌い子供達に跡を継がせなかったのか。 今、新規農業就業者は医者になる数より少ない。そして、農業就業者の高齢化がますます進み、米を作るなというからこれといった儲かる作物もなく、農地は荒れ、田舎は死に体化しつつある。農家にとって農地は先祖代々生活の糧をえる場であった。しかし、故郷を捨て外に出た子供にとってはそんな愛着はない。また、国のキモ入りで造成した農地も、高齢化の中で栽培作物の選定に失敗し経営ペースに乗らず諦めた例も少なくない。
 こういった問題から、要するに意欲さえあれば全国的に農地の大規模集積が可能になったとも言えます。愛媛県下でも、10ha単位ならば農地集積がかなり多くの町村で可能です。資本力の乏しい我々は企業が参入する前に対応しなければなりません。


3 新農基法の制定(企業資本の農業分野への流入なる!?)

 私達は新農基法がどんなものかはよく知らない。ただ、今騒がれているところの企業の参入がいずれは認められると予測するが、このことがたいへん重要なのです。もしこのことが実際に起きれば、企業は資金にものを言わせ、肥沃で価値の高い農地の摘み食いが始まり、大規模農業への転換が加速され、農地価格が高騰し、資金の無い農家は離農するか僻地に追いやられるだろう。農村に定住する人が激減し、通勤農業が始まる。銀行は今まで農地を担保物件にできなかったが、企業参入でそれが可能になるとそれが加速し、農協はもっと大変になるだろう。まさに、農村において平成の文明開化が起きようとしているのです。


4 家族経営から、集団家族経営へ協同労働の進化を

 農業の大規模化には、企業経営と共同組合経営があります。私は、日本では企業と組合が混在する形になるものと予想しています。そして、企業と組合が色々提携することも考えられます。ただし、ここに大企業資金が流入した場合の展望はちょっと見えてきません。しかし、日本の農産物の価格形成できるほど大規模に一企業で栽培可能とは思えません。栽培が企業化したと言えども、経営適性面積があり、それがどれくらいの規模かはやってみないとよくわかりませんが、農業が工業的に生産できない限り、規模には限界があると予想します。気象条件、土地条件、生き物を扱う以上、百姓のブルーカラー的存在が必要です。従って、農業企業(組合)の世界は中小企業の乱立の世界が予想されます。農業企業が成立するためには、農業感覚のある経営者、高度の栽培経験をもっている農業者、機動力のある機工部隊と、農作業の機械化・単純化を急ぐと共に、どうしても機械化できない部分の労働の確保が重要な課題となってきます。
 これらの活動を支えるのが労働です。労働すると金がもらえます。いつの間にか金をもらうために労働するようになりました。かって家族は、親父の仕事、母ちゃんの仕事、子供の仕事、皆それぞれの仕事をして家族が成り立っていました。これを協同労働というそうです。つまり、労働は人生教育、社会教育の場であり、生きる喜びの場であり、奉仕の場でもあるのです。お金だけには換えきれない多様な価値のある労働、それが協同労働なのです。地域社会で生活する、仕事をするそれは、協同労働でなければなりません。私達は家族経営から集団家族経営へと共同労働を進化させようと思っております。


5 集団家族経営(協同労働)で新しいコミュニティ−を

 もともと高齢化や就農人口の激減により農村社会の崩壊は時間の問題となっているが、経営規模の拡大が進めば、既存農家の経営体質が弱まり、兼業、離農、破産の構図が失業率の高まる中で深刻化するのではなかろうか。自治体による、農協を通じての農業の体質強化、第3セクターやイベントを通しての町作りという考え方では崩壊が始まった田舎の再生は不可能と思います。農業を企業経営体、共同経営としてやっていけるセンスのある農家の育成支援にとどまらず、異業種間の提携も含め集落再生のため、住民参加の上で今までの常識を覆す新しい農村社会の再生プランが必要と思います。
 人は誰も生まれたときは泣くことしか知らない生きものです。それが喜びを感じ、愛を知り、汗を流す大切さを知り、老いてまた赤ん坊に戻り、大地に帰っていく。21世紀は、人類ばかりでなく、地球の全ての生き物達と生きる喜びを分かち合える時代だと考えます。そんな目で経済活動を見ていますと田舎には、営利活動を越えたかつての運命共同体を21世紀に進化させた様々な組織、非営利・協同の地域社会協同組合が必要と思います。年老いた親の面倒を見てお金がもらえる時代です。農業経営を地域に根付かせ、域内で皆で考えながら仕事の創造をすれば、地域再生は十分可能です。


6 兎追いし子ぶな釣りし故郷

 私達は、自分たちが生まれ育ったこの故郷の大地にしっかり根ざして未来に向かって営々と生きていきたいと思っております。故郷には私達の文化があるのです。その文化を守る、受け継ぐ。そして、その文化が時代の変遷と共にゆっくり、生命が進化していくようにゆっくり変化していく。遠い先祖が培ってきた文化を味わいながら故郷の大地に帰る。経済構造、生産現場が如何に変化しようとも、兎追いし子ぶな釣りし故郷は永遠でありたいものです。
 「無茶々園」の究極の目的は、兎追いし子ぶな釣りし故郷の再生です。


7 揺り篭から墓場まで無茶々の里は海賊船アルカディア号の母港・休養地

 私達は、日本経済が国際化していく中で、価格の投機性要因の増大、経済性の追求から、機械化、大規模化、異常気象からくる生産の不安定化等の条件を加味して、無茶々の里の急峻な段々畑での柑橘農業専業では、近い将来生活が困難という結論になりました。そして故郷を出ていかずに生きていくにはどうすればいいのかを考えたのです。故郷とは、子供を育てる場所、年老いて大地に帰る場所、経済の戦士たちが戦いに疲れた身を休める場所として最高の条件を整備すればよい。しなければならないと考えました。そして、その故郷基盤の上にのって、経済基盤の再構築をはからねばならないと考えました(実際は両者平行して進むわけですが)。故郷基盤ががっちり構築できれば、一番遠い国に行くとしても1日あれば行けるのだから経済基盤の構築は大きくいうならば世界中どこでも可能ということです。
  故郷基盤とは、物質文明の終焉の始まりの中で、緑の地球の再生と人々の心の再生、息とし生きる者達すべての共生という観点にたち、小学校の低学年までは父親の背中を見、母親の深い愛に包まれて育てることのできる環境。小学校高学年になると子供は皆の宝という観点に立ち、共同生活を始め、老人たちとの共生も含め、皆で生きるという生き方を学ぶ。学問もできる限りやらせ、経済活動に疲れたときには元気になるまで古里で休養し、また戦いに出る。年寄には生きがいの仕事をやってもらい、在宅介護でひとりも寝た切りにしない、させない。 それが瞼の無茶々の里です。


8 田舎と都市の共生の為の新しい農業をはじめました

 県内10箇所100haの総合農場をめざして集団出作りをはじめます。私達は今、県内に2箇所、計10haの農地を取得する計画を進めています。有志による大規模環境保全型農業の出作実験をしようと思います。そしてそれを足掛かりにそこの地元に根ざした、若者が生きていける新しい感覚の農業システムの構築をやりたいと思っております。

地域法人無茶々園 片山元治